アメリカ軍に攻撃され沈没した学童疎開船・対馬丸。
その遭難者たちを救助した男性の手記が、11日、那覇市の対馬丸記念館に寄贈されました。
対馬丸は1944年8月、本土へ疎開する学童らを乗せて、沖縄から九州へと向かう途中、アメリカ軍の潜水艦に攻撃され沈没し、およそ1400人が犠牲となりました。
今回寄贈された手記は当時、現場近くにいた漁船の乗組員で、救助活動にあたった杉本寛さんが生前に書いたもので寛さんの妻・佐賀子さんが保管していました。
手記には、寛さんが体にロープをくくりつけて海に入り、遭難者を救助したことや、救命ボートの下敷きとなり亡くなった犠牲者がたくさんいたことなど当時の様子が生々しく書かれています。
寄贈式には、対馬丸の生存者も参加し、佐賀子さんと対面しました。
佐賀子さんは犠牲者が祀られた小桜の塔も訪れ、犠牲者に花を手向けました。
対馬丸記念館はこの手記を、来月から特別展示する予定です。
その遭難者たちを救助した男性の手記が、11日、那覇市の対馬丸記念館に寄贈されました。
対馬丸は1944年8月、本土へ疎開する学童らを乗せて、沖縄から九州へと向かう途中、アメリカ軍の潜水艦に攻撃され沈没し、およそ1400人が犠牲となりました。
今回寄贈された手記は当時、現場近くにいた漁船の乗組員で、救助活動にあたった杉本寛さんが生前に書いたもので寛さんの妻・佐賀子さんが保管していました。
手記には、寛さんが体にロープをくくりつけて海に入り、遭難者を救助したことや、救命ボートの下敷きとなり亡くなった犠牲者がたくさんいたことなど当時の様子が生々しく書かれています。
寄贈式には、対馬丸の生存者も参加し、佐賀子さんと対面しました。
佐賀子さんは犠牲者が祀られた小桜の塔も訪れ、犠牲者に花を手向けました。
対馬丸記念館はこの手記を、来月から特別展示する予定です。